本日、令和6年6月30日は?
- ハーフタイムデー
一年間の折り返し地点となる日。一年も残す所あと半分となります。 - トランジスタの日
1948年のこの日、アメリカAT&Tベル研究所のウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディン、ウォルター・ブラッテンが発明したトランジスタの原型が初めて公開されました。
トランジスタとは、トランジスタとは?トランジスタの仕組みをわかりやすく解説 (electronic-circuit.com)
トランジスタ – Wikipedia
トランジスタとは? | 村田製作所 技術記事 (murata.com) - アインシュタイン記念日
1905年のこの日、アルベルト・アインシュタインが相対性理論に関する最初の論文「運動する物体の電気力学について」を、ドイツの物理雑誌『アナーレン・デル・フィジーク』に提出した日に由来しています。
当時、アインシュタインはスイス連邦特許局の無名の技師でした。
アインシュタインの幼い頃のあだ名は「のろま」。勉強嫌いだった彼は、少年時代は落ちこぼれで、中学時代の教師から「ろくなものにならない」とまで言われ、大学受験に失敗した経験を持ちます。
そんな彼が20世紀最大の天才にして、偉大な理論物理学者となったのでした。 - 夏越しの大祓
1年の半分にあたる6月の最終日に行う「大祓」を「夏越の大祓」と呼んでいます。平安時代に詠まれた「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというふなり(6月の夏越の祓をする人は、命が千年伸びると言われている)」という和歌からも、当時の人々の「無病息災への願い」が見て取れます。
夏越の大祓でよく知られたものとしては、神社にて大きな茅の輪が建てられ、人々がその輪を八の字にくぐる「茅の輪くぐり」があります。
また、人の形に切った紙で体をなで息を吹きかけ、穢れを移し納める「人形代(ひとかたしろ)」といった行事もあります。
旧暦:05/25
六曜:大安
万事大吉。特に婚礼に良い。
「大安」は「たいあん」と読み、「大いに安し=非常に穏やかで不安がない」という意味を持っており、一日を通し万事において良い運勢を期待できます。そのため、大切な取引先との商談などで日程を自由に決められるのであれば、大安の日を選ぶのもよいでしょう。
また、「泰安」が元になっているといわれており、婚礼などのお祝い事に適しています。
六曜(ろくよう・りくよう)とは、「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」の6つの曜を指し、日にち毎に縁起の良い・悪いを判断する考え方です。「先勝」→「友引」→「先負」→「仏滅」→「大安」→「赤口」の順で繰り返されています。六曜は中国から始まり、日本には鎌倉時代に伝わりました。江戸時代には縁起の良し悪しを判断するものとして広まりました。
六曜は根拠のない迷信と見なされることもありますが、日本の文化の一部として受け入れられています。
日干支:乙丑(きのとうし)
二十八宿:房宿(ぼうしゅく)
髪切り、結婚、旅行、移転、開店、祭祀に吉。
十二直:危(あやぶ)
物事を危惧する日。
万事控えめに。
「すべてにおいて慎むべき日」
七十二候:菖蒲華(あやめはなさく)
菖蒲華(あやめはなさく)。
その名のとおり「アヤメが咲き始める時期」という意味ですが、実際この時期に咲き始めるのは「アヤメ」ではなく「ハナショウブ」です。また、端午の節句の「菖蒲湯」に用いられる「ショウブ」とも異なります。
見分けがつきにくい、アヤメ・ハナショウブ・カキツバタですが、まず5月上旬にアヤメから咲き始め、続いて5月中旬にカキツバタ、5月中旬から6月下旬になるとハナショウブが咲き出します。
七十二候は、一年を七十二等分し、それぞれの季節時点に応じた自然現象や動植物の行動を短い言葉で表現し、約五日間ごとの細やかな移ろいを子細に示したものです。
暦注下段:神吉日(かみよしにち)
神社の祭礼、ご祈祷、神棚を祀ることやご先祖様をお祀りするのに最適な日。
暦注下段:天恩日(てんおんにち)
七箇の善日の一つ。
天の恩恵を受けて、万事が成長しやすく徳が得られやすい日。
入籍や結婚式のほか、引越しやお祝いなどさまざまな慶事を行うには最適の日であるが、葬儀など凶事は避けた方が良いとされています。
暦注下段:五墓日(ごむにち)
五つの墓を意味する凶日。
この日に葬儀を行うと、墓が五つ並ぶ(五人が死ぬ日)とされています。
家造りには支障はありませんが、動土、地固め、築墓、種蒔きなど土にまつわることや、葬儀は凶とされています。
暦注下段とは、暦の最下段に書かれていた日々の吉凶についての暦注のことで、単に下段とも言われています。古代中国から続く占術である農民暦が基になっています。科学的根拠がない迷信としての要素が多く、明治時代に旧暦からグレゴリオ暦へ移行するときに政府によって禁止されましたが、当時の庶民は密かに使用し続けました。それ以前にも何度か当時の朝廷や政府によって禁止されることもありましたが、根強く残り続け、現代では自由に使用できるようになりました。それだけ庶民に強く支持されてきた暦注とも言えます。