令和07年01月15日(水)は?
小正月
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小正月(こしょうがつ)とは、日本の伝統的な行事で、毎年1月15日を中心に祝われる「小さな正月」のことです。大正月(1月1日から1月7日)に対して名付けられ、農耕や家族の健康を願うさまざまな風習が伝えられてきました。
小正月の由来と歴史
小正月の起源は古代にさかのぼり、中国の陰暦の影響を受けています。この日は満月にあたり、農作業の成功や豊作を祈る大切な節目とされてきました。農村社会では、月の満ち欠けと農耕のリズムが密接に関係しており、1年の始まりにあたって神々や先祖への祈りを捧げる重要な日でした。
伝統的な風習
小正月には「どんど焼き」や「左義長」(さぎちょう)と呼ばれる火祭りが行われます。お正月に飾った門松やしめ縄、書き初めなどを集めて燃やし、その火や煙を通じて無病息災や豊作を願います。この火で焼いたお餅や団子を食べると、一年を健康に過ごせるとも言われています。また、煙が高く上がるほど願いが天に届くと信じられてきました。
小豆粥(あずきがゆ)の習慣
小正月に小豆粥を食べる習慣も広く知られています。赤い小豆には邪気を払う力があると信じられ、小豆粥を食すことで家族の健康と幸せを願います。一部の地域では、この粥に一年の運勢を占う意味も込められており、興味深い文化として継承されています。

女正月としての小正月
小正月は「女正月」とも呼ばれ、年始の準備や接待で忙しかった女性たちが一息つく日とされています。この日は女性同士で集まり、お茶会や歌舞音曲を楽しむなど、自分たちのための時間を過ごしました。家族や友人との絆を深める大切な機会でもありました。
現代の小正月
都市化や生活様式の変化により、小正月の風習は薄れつつありますが、一部の地域や家庭では今も大切に守られています。伝統行事を通じて地域コミュニティの連帯感を育む試みも増えており、現代においてその意義が再認識されています。
半襟の日

1月は一年の最初の月であり、「襟を正す」という言葉にも通じるように、心身を引き締め、新たな気持ちでスタートを切る時期です。ここでの表現は、身だしなみを整えることで心構えを新たにし、自分の姿勢や行動を正すという意味が込められています。
また、2000年まではこの日に「成人の日」があり、長い間多くの人々に親しまれてきました。新成人たちが晴れ着である和装を身にまとい、人生の新たな節目を祝う姿は、日本の冬の風物詩とも言えます。色鮮やかな振袖や袴は、日本の伝統美を象徴し、その華やかさは周囲の人々にも喜びを与えます。

こうした1月と和装との深い関係性に着目し、京都半衿風呂敷和装卸協同組合が2001年に「半襟の日」を制定しました。半襟(はんえり)は着物の下襟部分に付ける細長い布で、首元を美しく飾る重要なアイテムです。ただ美しさを演出するだけでなく、着物を汚れから守る実用的な役割も果たしています。
現代社会において、和装の機会は減少傾向にあります。伝統的な文化を次世代へ繋げていくために、着物の魅力を再発見し、人々にその素晴らしさを伝えること。半襟は多様なデザインや色彩があり、個性を表現するのに適したアイテムです。その需要を高めることで、和装業界全体の活性化を図ることが目的。
くりこ庵・たい焼きの日

神奈川県横浜市に本社を構え、たい焼き、生菓子、甘栗の輸入販売などを手がける株式会社くりこが制定。江戸時代から続く日本独自の菓子であるたい焼きの記念日を制定し、たい焼き文化のさらなる発展と活性化を図ることを目的としています。
同社のたい焼きは、外はカリッと中はふんわりとした厚みのある生地が特徴で、多くの人々に愛されています。特に、たい焼き専門店として首都圏に多店舗展開している「くりこ庵」は有名で、その旗艦店である横浜西口店が開店した2002年1月15日を記念日としています。

たい焼きは、江⼾時代から⾷べられていた今川焼きから派生し、明治時代に誕生したとされる日本の伝統的なお菓子で、魚の形をした焼き菓子として親しまれています。
旧暦:12月16日
六曜:先負(せんぷ・せんまけ・さきまけ)
何事も控えめに平静を保つ日。
「先んずれば即ち負ける」という意味がある日で、午前は凶、午後(14時以降)は吉と言われています。
「負」という漢字が使われていることから、訴訟、勝負事、契約なども良い結果を得られないとされますが、午後以降は凶から吉に転じるため、どうしても何かこの日にすべきことがある場合は、14時以降にできるかどうか予め検討するとよいでしょう。
六曜(ろくよう・りくよう)とは、「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」の6つの曜を指し、日にち毎に縁起の良い、悪い、を判断する考え方です。
「先勝」→「友引」→「先負」→「仏滅」→「大安」→「赤口」の順で繰り返されています。
六曜は中国から始まり、日本には鎌倉時代に伝わりました。江戸時代には縁起の良し悪しを判断するものとして広まりました。
六曜は根拠のない迷信と見なされることもありますが、日本の文化の一部として受け入れられています。
日干支:甲申(きのえさる/こうしん)
日家九星:三碧木星(さんぺきもくせい)
二十八宿:箕宿(きしゅく)
動土、池掘り、集金、改築に吉。
婚礼、葬儀に凶。
十二直:危(あやぶ)
物事を危惧する日。
万事控えめに。
「すべてにおいて慎むべき日」
七十二候:雉始雊(きじはじめてなく)

六十九候。「小寒」の末候。
雉のオスがメスを求めて鳴き始める頃。
早春の繁殖期になると、オスの雉は「ケーン、ケーン」と甲高く鋭い声で鳴き、自身の縄張りを宣言します。この独特の鳴き声は、他のオスへの警告であり、メスへの求愛の意味も含まれています。また、オスは美しい羽を広げてアピールを行い、鮮やかな体色でメスの注意を引きつけます。
雉は日本の国鳥に指定されており、その存在は日本文化に深く根付いています。古くは「キギス」または「キギシ」と呼ばれており、それが転じて現在の「キジ」という名前になったと言われています。雉は日本固有の種であり、その美しい姿と鳴き声は多くの文学作品や美術、民話に登場します。雉は勇敢さや献身の象徴として、多くの民話や伝説に登場します。子を守るために敵と戦う母雉の物語など、道徳的な教訓を伝える話もあります。
宮廷や貴族の間では、雉は美味な食材として珍重されてきました。特に、雉の切り身を焼いて熱燗の清酒を注いだ「御雉子(おきじ)」、または「雉子酒(きじざけ)」は、天皇が正月の祝いに用いたとされています。この特別な酒は、雉の風味が染み出した温かい清酒で、身体を温める効果もありました。古来より、雉子酒は長寿や健康を願う縁起物として愛飲されてきたのです。

キジの求愛行動と慣用句「けんもほろろ」の由来
キジの雄は、「ケーン」という甲高い鳴き声を発した後、羽を激しく羽ばたかせて大きな音を立てることがあります。これは「母衣(ほろ)打ち」と呼ばれる行動で、縄張りの主張や求愛の一環として知られています。色鮮やかな羽を持つ雄が、この求愛行動で懸命にアピールしても、雌はなかなか応じず、素っ気ない態度を示すことが多いのです。
この雌の冷淡な反応から生まれたのが、慣用句の**「けんもほろろ」**です。「けんもほろろ」とは、人の頼みや問いかけに対して冷たく取り合わない様子や、素っ気なく断ることを意味します。キジの雄が一生懸命に求愛しても報われない様子を表現した、興味深い由来を持つ言葉です。
現代ではキジを直接目にする機会は少ないかもしれませんが、「いやあ、けんもほろろに断られたよ」といった具合に、私たちは知らず知らずのうちにこの言葉を日常会話で使っています。言葉の背景にある自然や動物の習性を知ると、日常の何気ない表現も一層興味深く感じられます。
七十二候は、一年を七十二等分し、それぞれの季節時点に応じた自然現象や動植物の行動を短い言葉で表現し、約五日間ごとの細やかな移ろいを子細に示したものです。
暦注下段:神吉日(かみよしにち)
七箇の善日の一つ。
神社の祭礼、ご祈祷、神棚を祀ることやご先祖様をお祀りするのに最適な日。
暦注下段とは、暦の最下段に書かれていた日々の吉凶についての暦注のことで、単に下段とも言われています。古代中国から続く占術である農民暦が基になっています。
科学的根拠がない迷信としての要素が多く、明治時代に旧暦からグレゴリオ暦へ移行するときに政府によって禁止されましたが、当時の庶民は密かに使用し続けました。それ以前にも何度か当時の朝廷や政府によって禁止されることもありましたが、根強く残り続け、現代では自由に使用できるようになりました。それだけ庶民に強く支持されてきた暦注とも言えます。
選日:
十方暮(じっぽうぐれ)
六十干支で甲申の日から癸巳の日までの10日間いいます。この間は天地陰陽の五行が相剋の関係になり、十方の気が塞がる凶日と言われています。
結婚、相談事に凶とされる。
小犯土(こづち)
戊寅(つちのえとら)の日から甲申(きのえさる)の日までの7日間を指します。
この期間は土を犯す行為(土堀り、穴掘り、建墓、種まきなど)はすべて慎まなければならないとされています。
犯土は、陰陽五行説に基づいた考え方から来ており、土公神(どくじん・土を司る神様)が土の中にいるため、土を犯すことで祟りが起きるとされています。 特に地鎮祭等の建築儀礼には凶日とされています。
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