令和6年12月30日(月)は?
地下鉄記念日
1927年(昭和2年)12月30日、日本初の地下鉄となる東京地下鉄道の路線が、上野駅から浅草駅間で開業しました。
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- 起点と終点:上野駅〜浅草駅(全長2.2キロメートル)
- 設立者:実業家の早川徳次(はやかわ のりつぐ)
- 目的:混雑する道路事情を緩和し、近代的な都市交通システムを導入すること
当時の東京は、人口の増加とともに道路の混雑が深刻な問題となっていました。早川徳次はロンドンやニューヨークの地下鉄に着想を得て、日本にも地下鉄を導入することを提唱しました。
開業当日は、多くの市民が新しい交通手段を一目見ようと駅に押し寄せました。地下を走る電車は人々にとって未知の存在であり、期待と興奮が入り混じっていました。
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- 運賃:当時は10銭
- 所要時間:上野〜浅草間を約5分で結ぶ
- 車両:木製の車両で、内部は白熱灯で照らされていました
乗客たちは、滑らかに走行する地下鉄の快適さと速さに驚き、未来の都市交通に期待を膨らませました。
蓬莱橋がギネス記録に認定された日
「蓬莱橋」(ほうらいばし)は、静岡県島田市にある大井川に架かる全長897.4メートルの木造歩行者専用橋です。その長さは、木造歩道橋として世界一であり、1997年12月30日にギネス世界記録にも認定されています。
明治12年(1879年)に架橋された蓬莱橋は、当時の人々の生活と経済を支える重要な橋でした。大井川は増水すると渡河が困難になり、島田と牧之原台地を結ぶ橋の建設は地域の発展に欠かせないものでした。
「蓬莱」とは、中国神話に登場する仙人の住む不老長寿の島を指します。この橋を渡ることで、長寿や幸運を得られるという願いが込められています。また、全長の「897.4(やくなし)」は「厄なし」と読めることから、厄除けの縁起物としても親しまれています。
構造と特徴
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- 長さ:897.4メートル
- 幅:2.4メートル
- 材質:主に木材(ヒノキ、スギ)
- 用途:歩行者・自転車専用
シンプルな木造の構造ながら、その美しさとスケールは訪れる人々を魅了します。四季折々の風景と相まって、写真愛好家にも人気のスポットです。
旧暦:11月30日
六曜:仏滅(ぶつめつ)
万事凶。葬式や法事は構わない。
「仏滅」は、「仏も滅するような大凶日」として、六曜の中で最も凶の日。
具体的には、一日中が凶であり、特に「慶事には凶」と考えられ、結婚式や入籍の日柄としては避けられることが多いです。
ただし、一部の解釈では「仏滅」=「物滅」として、「それまでの物事が滅び、新しく始まる」という意味もあるため、大安よりも結婚や引っ越しには最適の日とする説もあります。
六曜(ろくよう・りくよう)とは、「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」の6つの曜を指し、日にち毎に縁起の良い、悪い、を判断する考え方です。
「先勝」→「友引」→「先負」→「仏滅」→「大安」→「赤口」の順で繰り返されています。
六曜は中国から始まり、日本には鎌倉時代に伝わりました。江戸時代には縁起の良し悪しを判断するものとして広まりました。
六曜は根拠のない迷信と見なされることもありますが、日本の文化の一部として受け入れられています。
日干支:戊辰(つちのえたつ/ぼしん)
日家九星:五黄土星(ごおうどせい)
二十八宿:畢宿(ひつしゅく)
稽古始め、運搬初めに吉。
造作、衣類着始めに凶。
十二直:定(さだん)
善悪が定まる日。
家造り、婚礼、縁談、動土、祈祷、種撒き、売買契約、祝い事、開店、開業、移転、規則を制定するは、吉。
訴訟、樹木の植え替え、旅行は、凶。
七十二候:麋角解(さわしかつのおつる)
六十五候。「冬至」の次候。
雄の鹿の角が取れ落ちる頃。
メスの鹿には角が生えませんが、オスの鹿は一年に一度、角が根元からポロッと取れ、春にはまた新しい角が生え始めます。
枝分かれした大きく立派な角は、春に生え始め、冬のこの時期に根元から自然に落ちます。生え始めの角には毛が生えており、柔らかくて中には血管も通っています。しかし、秋頃になると角の内部が次第に骨のように硬く変化していくそうです。
「麋」とは、「なれしか」とも読み、トナカイの一種である大型の鹿、またはヘラジカのことを指します。
七十二候は、一年を七十二等分し、それぞれの季節時点に応じた自然現象や動植物の行動を短い言葉で表現し、約五日間ごとの細やかな移ろいを子細に示したものです。
暦注下段:
天恩日(てんおんにち)
七箇の善日の一つ。
天の恩恵を受けて、万事が成長しやすく徳が得られやすい日。
入籍や結婚式のほか、引越しやお祝いなどさまざまな慶事を行うには最適の日であるが、葬儀など凶事は避けた方が良いとされています。
受死日と重なると、効果が打ち消されてしまいます。
五墓日(ごむにち)
五つの墓を意味する凶日。
この日に葬儀を行うと、墓が五つ並ぶ(五人が死ぬ日)とされています。
家造りには支障はありませんが、動土、地固め、築墓、種蒔きなど土にまつわることや、葬儀は凶とされています。
暦注下段とは、暦の最下段に書かれていた日々の吉凶についての暦注のことで、単に下段とも言われています。古代中国から続く占術である農民暦が基になっています。
科学的根拠がない迷信としての要素が多く、明治時代に旧暦からグレゴリオ暦へ移行するときに政府によって禁止されましたが、当時の庶民は密かに使用し続けました。それ以前にも何度か当時の朝廷や政府によって禁止されることもありましたが、根強く残り続け、現代では自由に使用できるようになりました。それだけ庶民に強く支持されてきた暦注とも言えます。