令和6年9月15日(日)は?
関ケ原合戦の日
一般社団法人関ケ原観光協会(事務局:岐阜県不破郡関ケ原町)が制定。
東軍と西軍に分かれて行われた大規模な合戦で、天下分け目の戦いとして知られる関ケ原の戦い。慶長5年9月15日(1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われました。
記念日を制定して関ケ原合戦が行われた日を広く世間に知ってもらい、この歴史的な転換日を関ケ原の地域資源として、関ケ原の地の活性化につなげることが目的。
日付は関ケ原合戦が始まった慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)から。
石狩鍋記念日
北海道を代表する郷土料理の石狩鍋。
この発祥地である石狩市で、本場の石狩鍋を広くPRしようと結成された、石狩鍋復活プロジェクト「あき味の会」が制定。
「石狩鍋」は、ぶつ切りした鮭の身とあらを野菜と一緒に昆布のだし汁の中に入れて味噌で味を整え、最後にアクセントに山椒を振りかけると美味しくいただける鍋料理。
日付は石狩で鮭が捕れる時季で、「鮭がく(9)い(1)ご(5)ろ」という語呂合わせから。
ニュータウンの日
千里ニュータウンにおける「まちづくり」の文化的な記録・記憶の継承と、その魅力を発信する一般財団法人千里パブリックデザイン(事務局:大阪府吹田市)が制定。
千里ニュータウンは日本のライフスタイルを変えた実験的・計画的な住宅都市で、日本初の大規模ニュータウン。その先進性は、以後各地のさまざまなニュータウンに影響を与えながら、自らも再生への取り組みを行ってきた。
記念日を通して開発者、行政、住民が一体となって取り組んできたこのチャレンジを忘れずにその精神を未来へと繋いでいくことが目的。
日付は、千里ニュータウンに初めて住民が入居し、その生活が始まった1962年9月15日から。
旧暦:08/13
六曜:友引(ともびき・ゆういん)
友を引く。
祝い事は良いですが、葬式などの凶事は避けるべきとされています。
元々は「共引」と書き、「引き分けて勝負なし」という意味があった日ですが、後に「友引」と書くようになってからは、「友を引きこむ」という意味合いが広く知られるようになり、上記のとおり、慶事には向いていると考えられ、結婚式の日取りとしても人気ですが、葬式などは避けられます。
六曜(ろくよう・りくよう)とは、「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」の6つの曜を指し、日にち毎に縁起の良い・悪いを判断する考え方です。「先勝」→「友引」→「先負」→「仏滅」→「大安」→「赤口」の順で繰り返されています。
六曜は中国から始まり、日本には鎌倉時代に伝わりました。江戸時代には縁起の良し悪しを判断するものとして広まりました。
六曜は根拠のない迷信と見なされることもありますが、日本の文化の一部として受け入れられています。
日干支:壬午(みずのえうま/じんご)
日家九星:三碧木星(さんぺきもくせい)
二十八宿:星宿(せいしゅく)
乗馬始め、家の改築、療養を始めるなどに吉。
種撒きや祝い事、葬式などは凶。
十二直:納(おさん)
物事を納める日。
収穫、商品購入は吉。
結婚、見合いは凶。
七十二候:鶺鴒鳴(せきれいなく)
第四十四候。白露の次候。
澄みきった秋の空に、鶺鴒(せきれい)の鳴き声が爽やかに聞こえ始める頃。
日本神話の伊弉諾 (イザナギ) と伊弉冉 (イザナミ) に男女の交わりを教えたことから、「嫁ぎ教え鳥」とも呼ばれます。
こうした伝説から、鶺鴒(せきれい)は古来より夫婦円満の御神鳥として崇められてきました。結婚の儀にも関係が深く、皇室の成婚時には新床にセキレイの飾りが置かれてきたとのことです。
七十二候は、一年を七十二等分し、それぞれの季節時点に応じた自然現象や動植物の行動を短い言葉で表現し、約五日間ごとの細やかな移ろいを子細に示したものです。
暦注下段:
神吉日(かみよしにち)
七箇の善日の一つ。
神社の祭礼、ご祈祷、神棚を祀ることやご先祖様をお祀りするのに最適な日。
大明日(だいみょうにち)
「天と地の道が開き、世の中の隅々まで太陽の光で照らされる日」という意味があり、「太陽の恩恵を受けて、全ての物事がうまくいく」とされる何事にも縁起のいい日。
他の凶日と重なっても忌む必要がないとも言われています。
天恩日(てんおんにち)
七箇の善日の一つ。
天の恩恵を受けて、万事が成長しやすく徳が得られやすい日。
入籍や結婚式のほか、引越しやお祝いなどさまざまな慶事を行うには最適の日であるが、葬儀など凶事は避けた方が良いとされています。
受死日と重なると、効果が打ち消されてしまいます。
滅門日(めつもんにち)
三箇の悪日といい、凶日。
陰陽道で、百事に凶であるという日。滅日。
この日に事をなすと、その家門は滅亡するといわれる。
暦注下段とは、暦の最下段に書かれていた日々の吉凶についての暦注のことで、単に下段とも言われています。古代中国から続く占術である農民暦が基になっています。
科学的根拠がない迷信としての要素が多く、明治時代に旧暦からグレゴリオ暦へ移行するときに政府によって禁止されましたが、当時の庶民は密かに使用し続けました。それ以前にも何度か当時の朝廷や政府によって禁止されることもありましたが、根強く残り続け、現代では自由に使用できるようになりました。それだけ庶民に強く支持されてきた暦注とも言えます。
選日:小犯土(こづち)
戊寅(つちのえとら)の日から甲申(きのえさる)の日までの7日間を指します。
この期間は土を犯す行為(土堀り、穴掘り、建墓、種まきなど)はすべて慎まなければならないとされています。
犯土は、陰陽五行説に基づいた考え方から来ており、土公神(どくじん・土を司る神様)が土の中にいるため、土を犯すことで祟りが起きるとされています。
特に地鎮祭等の建築儀礼には凶日とされています。