本日、令和6年9月9日(月)は?
救急の日
1982年(昭和57年)に9月9日でキューキューの語呂合わせから、厚生省が制定。
救急医療の大切さを理解してもらうため設けられた。救急処置の講習会などが開かれる。
救缶鳥の日
災害時用の非常食「救缶鳥」を開発した株式会社パン・アキモト(本社:栃木県那須塩原市)が制定。
「救缶鳥」は缶の中に賞味期限3年のふわふわのパンが入っており、賞味期限が残り1年となったときに回収の案内を出し、集まった「救缶鳥」は災害にあった国や地域に運ばれ、国際貢献にも被災者支援にも活用されます。
日付は「救缶鳥」が誕生した2009年9月9日から。
食べものを大切にする日
「食べもの大切運動」に取り組んでいる一般財団法人ベターホーム協会が制定。
食べものを捨てることなく食べきることが健康にも通じることから、健康長寿を祝う重陽の節句にあたる9月9日を記念日とした。
また、食べものを「捨てないん(ナイン)」「残さないん(ナイン)」の語呂合わせも。
旧暦:08/07
六曜:友引(ともびき・ゆういん)
友を引く。祝い事は良いですが、葬式などの凶事は避けるべきとされています。
元々は「共引」と書き、「引き分けて勝負なし」という意味があった日ですが、後に「友引」と書くようになってからは、「友を引きこむ」という意味合いが広く知られるようになり、上記のとおり、慶事には向いていると考えられ、結婚式の日取りとしても人気ですが、葬式などは避けられます。
六曜(ろくよう・りくよう)とは、「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」の6つの曜を指し、日にち毎に縁起の良い・悪いを判断する考え方です。「先勝」→「友引」→「先負」→「仏滅」→「大安」→「赤口」の順で繰り返されています。
六曜は中国から始まり、日本には鎌倉時代に伝わりました。江戸時代には縁起の良し悪しを判断するものとして広まりました。
六曜は根拠のない迷信と見なされることもありますが、日本の文化の一部として受け入れられています。
日干支:丙子(ひのえね/へいし)
日家九星:九紫火星(きゅうしかせい)
二十八宿:畢宿(ひつしゅく)
稽古始め、運搬初めに吉。
造作、衣類着始めに凶。
十二直:平(たいら)
物事が平らかになる日。
旅行、婚礼、道路修理などは吉。
穴掘り、種蒔きは凶。
七十二候:草露白 (くさのつゆしろし)
第四十三候。白露の初候。
朝の草花に露が宿り、白く輝くように見える頃。
「露」は、夏から秋への季節の変わり目など、朝晩の気温が下がる日によく見られ、秋の季語にもなっています。
露は空気中の水蒸気が冷やされてできます。晴れた夜に地上の熱が上空に逃げる「放射冷却」という現象によって発生します。
「朝露が降りると晴れ」という天気のことわざがあるように、夜の間、雲一つない空は高気圧に覆われ、安定した気圧配置になっていることが多いので、昼になってもその天気は変わらず晴れのままとなります。
七十二候は、一年を七十二等分し、それぞれの季節時点に応じた自然現象や動植物の行動を短い言葉で表現し、約五日間ごとの細やかな移ろいを子細に示したものです。
五節句:重陽の節句(ちょうようのせっく)
重陽の節句は、「菊の節句」とも言われます。
菊は延寿の力があるとされていました。
菊の花をお酒に浸す「菊酒」
お風呂に入れる「菊湯」
などの風習が受け継がれてきました。また、菊の香りは邪気を払うとされていて、重陽の節句の前日の夜、菊の花の上に綿を置いておく「被せ綿(きせわた)」も知られています。朝露とともに香りを綿に移し、翌日その綿で体を清めて、不老長寿を願います。
今でこそ盛んに催されることはない重陽の節句ですが、平安時代から江戸時代ごろは、五節句の中でも最後の節句として、最も盛んに祝われていたようです。
五節句とは、
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- 1月7日の人日の節句(七草の節句)
- 3月3日の上巳の節句(桃の節句)
- 5月5日の端午の節句(菖蒲の節句)
- 7月7日の七夕の節句(笹竹の節句・星祭り)
- 9月9日の重陽の節句(菊の節句)
のことで、5つの季節の節目を祝う日本の伝統行事です。
暦注下段:
地火日(ぢかにち)
地火日とは、五行説における三つある天火・地火・人火の火気の一つで、その中でも大地の火気が激しく荒ぶっている日となっています。
地面に関連する、動土、定礎、柱建て、井戸掘り、種蒔き、築墓、葬儀などが凶となっております。
大禍日(たいかにち)
三箇の悪日の一つであり、三箇の悪日で最も悪い日。
この日に物事を始めると、後に禍の種となると言われている日。
特に建築、船旅、葬儀、仏事を忌むべき日と言われています。
暦注下段とは、暦の最下段に書かれていた日々の吉凶についての暦注のことで、単に下段とも言われています。古代中国から続く占術である農民暦が基になっています。
科学的根拠がない迷信としての要素が多く、明治時代に旧暦からグレゴリオ暦へ移行するときに政府によって禁止されましたが、当時の庶民は密かに使用し続けました。それ以前にも何度か当時の朝廷や政府によって禁止されることもありましたが、根強く残り続け、現代では自由に使用できるようになりました。それだけ庶民に強く支持されてきた暦注とも言えます。
選日:大犯土(おおづち)
庚午(かのえうま)の日から丙子(ひのえね)の日までの7日間を大犯土といい、1日の間日をおいて戊寅(つちのえとら)の日から甲申(きのえさる)の日までの7日間を小犯土といいます。
犯土の間は、土を犯す行為(土堀り、穴掘り、建墓、種まきなど)はすべて慎まなければならないとされています。
犯土は、陰陽五行説に基づいた考え方から来ており、土公神(どくじん・土を司る神様)が土の中にいるため、土を犯すことで祟りが起きるとされています。
特に地鎮祭等の建築儀礼には凶日とされています。
これらの内容は土用と共通しています。